学歴詐欺の確信犯と見る根拠は・・・

私の推理では、30余年の学歴詐欺の確信犯と見ます。その根拠は。。。。(根拠はこの他にもあります。)


岸田秀『二十世紀を精神分析する』(初版は1996年)所収の「フロイド讃歌」(文春文庫)を見ても、これだけの説明しかありません。ーー

(フランスの大学に提出した“博士論文”は)「指導教授の口頭審査で合格の判定を受けたのでDoctorat du Troisieme Cycle の学位を得たと思っていたところ、指導教授が届けるのを忘れたのか、ストラスブール大学にはそのようなことは記録されていないらしいし」

  • ーーー「卒業したつもりが、30年後に見たら、名前がなかった」というのは絶対に有り得ない。なぜなら、ふつう卒業前に確認、卒業後に確認、外国ならさらに詳しく確認するから。

(岸田は20年も経った後にはじめてストラスブールを再訪している。1967年に確認せずにフランスを去るはずがない。)

早稲田大学和光大学に就任時(1970年ころ)に履歴書を出したはず。その時に確認したはず。

さらなる根拠のリストはここです。

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(岸田は1970ころに早稲田大学でも講師をしたそうだから、そこにも証拠(偽の卒業証明書)があるかもしれない。)

  • ーーーーーー 岸田の「博士論文」は、異様に短かい。
  • ーーーーーー フランス語が話せず、「psychologie」も発音できない男に「心理学の博士号」がとれるわけがない。(この2点は末尾)
  • ーーーーー 単位もおそらく半分くらいしか取れてないと思う。(岸田は3年弱しかフランスの大学に在籍せず、また、「フランスでは。。。講義に出ても、ろくにわかりましたかったので、そのうちにあまり出席しなくなった。」『ものぐさ』収録の「忙しい人とひまな人」と書いているので、卒業に必要な単位も不足していたと思われる。)


岸田: 「後者は、指導教授の口頭審査で合格の判定を受けたのでDoctorat du Troisieme Cycle の学位を得たと思っていたところ、指導教授が届けるのを忘れたのか、ストラスブール大学にはそのようなことは記録されていないらしいし、」

  • ーーーーー 「届けるのを忘れたのか」 理由を調べる気がない、それは調べても何も出てこないことを知っているから。
  • ーーーーー 単なる手違いが原因なら、それを是正するのは簡単だ。 実質的に合格しているのならば、ただ論文を提出すれば良い。それをする気がない。
  • ーーーーー 全く驚いていない。
  • ーーーーー 当初から「博士」とは書いてなかった。 思えば、岸田秀は、当初から「ストラスブール大学大学院を卒業」と書いて、1980年からは「10年あまり前にストラスブール大学に提出した博士論文を収録した」とか堂々と宣伝してきたが、「心理学博士」とは一度も表記していないようだ。つまりこれは、「博士号を取ったつもり」が初めから無かったことの現れか?
  • ーーーーー 「指導教授の口頭審査で合格の判定を受けたので」 こんな言い方でだまされるのは、博士課程がどういうものかを知らぬ人間だけだ。一回の口頭審査で全てが決まる事などない。口頭審査に至るまでに多くの課程があり、その記録(この場合には、岸田がその課程を始めていなかった記録)がまだ残っているかもしれない。
  • ーーーーー 「大学院を卒業」や「10年あまり前にストラスブール大学に提出した博士論文を収録した」などの記述を全く訂正していない。これは全く驚いていない事の証拠である。
  • ーーーーー 「提出した博士論文を」という書き方はあらかじめ ばれた時のことを想定しているような表現だ。ふつうは「提出」でなく「論文受理」「学位を。。。」と書く。
  • ーーーーー 岸田研究室bbsでこのことについて尋ねている人がいたが、岸田は全く恐縮する態度を示さず、「俺の本を読めばよい」とつっぱねていた。(どの本を読めとも言わず) さらに取り巻きのチンピラ学生ども全員をけしかけて、いやがらせをしたり、脅させたりしていた。
  • ーーーーー 学会に一つも入らなかったのは、やはり、不自然だ。入会のときは大丈夫でも、委員になるときなどに、学歴の確認があるからか?  岸田が学会にひとつも入らなかった一番の理由は、学校・学問の世界で徹底的に落ちこぼれて、もう凝りていたからだと思います。 この「心理学無用論」を書いた時点で、終生、論文を書く気も学問的なことをする気も、無かったわけです。
  • ーーーーー 博士課程は普通「終了」と言い「卒業」とは言わぬ。岸田がわざわざ通常でない用語を使うのは、あいまいにして、ごまかすためだろう。  学会に入会するときには、入会願いに学歴を記すから、こういう「卒業」のような通常でない用語は、係員が何気なく(岸田の恐れる)「終了」という規定の用語に直すだろう。これが学会に一つも入らなかったのの理由の一つだろう。  「修了」という規定の用語を使うと、厳しく意味を追及されて、(金城学院大の教授が学歴詐称、教授は大学に対し)「修了という意味の認識不足だった」と釈明したりするはめになる。
  • ーーーーー 転職せず。(以下の田中康夫のコメントについて)

 *** 博士号を持ってない人間が、博士号の選考委員になったらヘンですよね。いつの事かわからんが、この時点ですでに大学内では岸田の博士号のことがバレていたのか?

 *** 2001年3月の時点では、田中康夫も岸田の博士号のことを知らぬようだ。

 *** 田中康夫が「和光大学で教授をやっていた岸田 秀という人…今はどこかの大学に移ったのかな…」と言ってるのが面白い。

私も20年間、なぜ有名になっても他の大学に移らないんだ? と不思議でしたが、謎が解けました。転職するときには、卒業証明書とか提出するから、バレますよね。


http://www.fmp.or.jp/express/realvoice/r_0103.html
今月のVOICE 2001年3月号
田中康夫さん 長野県知事・作家

和光大学で教授をやっていた岸田 秀という人…今はどこかの大学に移ったのかな…彼を教授会は大学院の選考試験、博士号の委員にしなかったんです。その理由は、岸田 秀は学会で発表したことがほとんどない、論文の数が少ない、ということだった。

これは記号としてわかりやすいスペックなんですけれども、じゃあ学会でいっぱい発表している人は優秀な学者なのか。どこかの本に書いてあったことを、ずっと学会で発表している人もいるわけでね。



http://8132.teacup.com/shimakaz/bbs

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剥奪と挫折 投稿者:岸田秀  投稿日:11月18日(火)23時12分00秒

文部省が小生から剥奪したのは大学で精神分析を教える資格であります。大学で何かを教えるのはいいのですが、それを精神分析と称してはいけないとのことでした。博士号はストラスブール大学のも早稲田大学のも挫折しました。

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  • ーーーーーーーー 岸田が「挫折した」と断定。  岸田がもし、単位もほぼ足りていて、かなり良い(つまり合格に近い)論文もあるのならば、数か月間がんばれば、今からでも博士号(または名誉博士号)が取れるかもしれない。  岸田が、「博士号はストラスブール大学のも早稲田大学のも挫折しました。」と ここまで断定的に書くのは、それが不可能なことを(つまり、フランスでの3年間で博士号取得への進歩がほとんど無かったことを)岸田は知っているからだ。


文春文庫『ものぐさ箸やすめ』203ページ(以下は早稲田の大学院のことです)「仏語を始めたのは、大学院の博士課程を終了し(博士論文が通ったということでなく、博士論文はいまだに書いていない)」 岸田が「早稲田の博士課程を終了した」と書いているの今はじめて気がつきました。虚偽だとおもいますが、当分は岸田のフランスの博士号にしぼりましょう。ただし記事を書くとしたら、ここから始めるのも良いと思います。


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岸田の「博士論文」は、思い返してみれば異様に短かったように思います。数学では10ページの博士論文もあり得ますが、文系の博士論文は最低でも300ページくらいが普通では?  岸田の「博士論文」はこの 1/3 くらいの長さでした。

岸田は「博士論文」の下書きの第一原稿を(たった一人の)教授の前で、ごくインフォーマルに(5分程度) 発表したのではないかと思いますが。もちろん、それもしていないかもしれない。

なにしろ、フランス語では「psychologie」も発音できないそうですから。


『ふき寄せ雑文集』文芸春秋 p203 「読めるとしゃべれるは大違い」

仏語をはじめたのは、(中略)そのときはすでに二十九歳になっており、(中略)仏語の場合も読めるがしゃべれないということになってしまった。

 そういうわけで、フランスの大学へ留学したとき、当然、わたしの発音ではなかなか通じず、大変困ることになった。早い話が、フランス人学生におまえの専門は何がと聞かれ、わたしは心理学が専門なのて、psychologieだと答えるわけであるが、このpsychologieがフランス人に通じないのである。(中略)

そこで、同じゼミのフランス人学生と専門のことで議論するときなど、わたしばしばしば筆談に訴えた。しゃべれないが書けるので、筆談ならやれるわけである。


END of konkyo